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2026/10/22

10月22日は「時代祭」 京都千年の歴史を2時間でたどる

尊心オフィス

こんにちは。

東広島市の尊心オフィスです。


10月22日は、

京都の「時代祭」

が行われる日です。

祇園祭、葵祭と並ぶ京都を代表する祭の一つで、

約2,000人もの人々が、

明治維新から平安京が造られた延暦時代まで、

さまざまな時代の衣装をまとって京都の街を歩きます。

行列の長さは約2キロ。

通過には約2時間。

つまり、

京都の約1,000年の歴史を、2時間かけて目の前でたどる祭

なんですね。



時代祭は、意外と新しい祭
京都の祭というと、
何百年、あるいは千年以上続いているような印象があります。
ところが、
時代祭が始まったのは、
1895年(明治28年)。
今から約130年前です。
きっかけになったのは、
平安遷都1100年。
794年、
桓武天皇によって都が平安京へ移されました。
その1100年を記念して、
1895年に平安神宮が創建されました。
そして同じ年、
平安遷都1100年を祝う紀念祭の一環として、
時代ごとの装束や風俗を再現した
「時代風俗行列」
が行われました。
これが、
現在の時代祭の始まりです。

実は、最初から10月22日ではなかった
ここは少し面白いところです。
1895年、
最初の時代風俗行列が行われたのは、
10月25日。
翌1896年から、
平安京への遷都の日にあたる
10月22日
に行われるようになりました。
ですから、
10月22日という日付そのものにも、
京都の歴史が込められているわけです。

背景には、明治維新後の京都の衰退もあった
時代祭が生まれた背景には、
単なる記念行事以上の事情がありました。
明治維新によって、
政治の中心は東京へ移っていきます。
それまで長く「みやこ」として存在してきた京都にとって、
これは非常に大きな変化でした。
京都市公式観光情報でも、
事実上の東京遷都後の京都に活気を取り戻すため、
1895年に第4回内国勧業博覧会が京都で開催され、
平安神宮の創建や平安遷都1100年紀念祭へつながったと説明されています。
つまり時代祭には、
「昔を懐かしむ」
だけではなく、
京都の歴史と文化をもう一度、自分たちの力で見せよう
という思いも込められていたわけです。

歴史は「明治から平安」へさかのぼる
時代祭の行列は、
古い時代から順番に進むのではありません。
先頭は、
明治維新時代。
そこから、
江戸、
安土桃山、
吉野、
室町、
鎌倉、
藤原、
そして最後は
延暦時代
までさかのぼっていきます。
いわば、
現在に近い時代から、
京都の原点へ向かって歴史を巻き戻していくような構成です。
約1,000年の歴史を、
街の中で逆方向にたどっていく。
ここも時代祭の面白いところです。

「鎌倉時代の都は鎌倉」「江戸時代の都は江戸」ではない?
ここで、
少し歴史の見方を変えてみます。
時代の名前だけを見ると、
「鎌倉時代なら都は鎌倉」
「江戸時代なら都は江戸」
と思ってしまいそうです。
でも、
日本の歴史はそれほど単純ではありません。
鎌倉には、
鎌倉幕府。
江戸には、
江戸幕府。
つまり、
武士による政治を行う政権が置かれていました。
一方、
天皇と朝廷は京都にありました。
国土交通省も、
鎌倉時代について、
武家政権の鎌倉と、天皇・公家勢力の京による二極構造
だったと整理しています。
江戸時代になると、
幕府の江戸、伝統的権威の中心である京、経済の中心である大坂
という三都構造になっていました。
つまり、
現代の感覚でいう
「政治の中心=首都=みやこ」
が、
昔の日本では必ずしも一つの場所にまとまっていなかったんですね。
みやこ」と「政治の中心」は同じとは限らなかった
ここが、
かなり面白いところです。
江戸は、
徳川幕府が置かれた
政治の中心。
京都は、
天皇・朝廷があり、
長く「みやこ」と認識されていた場所。
大坂は、
商業・経済の中心。
役割が分かれていました。
国土交通省の資料でも、
江戸時代には
江戸=政治の都
大坂=経済の都
京都=天皇の居住地・伝統と文化の都
という見方が紹介されています。
さらに、
「ミヤコは明らかに京都だったが、近代西洋的なCapital=政治権力の所在地という意味で首都を考えれば江戸になる」
という整理もされています。
つまり、
「みやこ」と「近代的な意味での首都」は、必ずしも同じ概念ではない
ということです。
ここを知っておくと、
時代祭で
江戸時代や鎌倉時代まで、
京都を舞台に再現されることも、
少し理解しやすくなります。
幕府が江戸や鎌倉にあった時代にも、
京都は歴史から消えていたわけではありません
。
衣装は「それっぽい仮装」ではない
時代祭のすごいところは、
衣装や道具にもあります。
単に、
昔風の服を着て歩いているわけではありません。
各時代の装束や祭具は、
時代考証をもとに再現されています。
染織、
織物、
装束、
金工、
木工など、
京都が長い歴史の中で培ってきた伝統技術も使われています。
つまり、
時代祭は歴史のパレードであると同時に、
京都の職人技を見せる場
でもあるわけです。

約2,000人、約2キロの「動く歴史絵巻」
現在の行列は、
約2,000人。
長さは約2キロにも及びます。
馬や牛、
馬車、
牛車なども登場し、
京都御所から平安神宮まで、
街そのものを舞台に進んでいきます。
2026年の時代祭も、
10月22日(木)
に開催予定で、
雨天の場合は翌23日に順延されます。
京都御所を正午に出発し、
平安神宮には14時30分頃到着する予定です。

そして、明治維新で「みやこ」と政治の関係も大きく変わった
江戸幕府が終わると、
それまで分かれていた
天皇・朝廷のある京都
と、
政治を動かす幕府の所在地
という関係も、
大きく変わっていきます。
1868年には、
江戸を「東京」と改める詔書が出されました。
その後、
天皇陛下の東京行幸とともに、
東京は次第に政治の中心、
そして事実上の首都として成長していきます。
ただし、
国立公文書館によると、
東京への「遷都」が正式に発表されたことはありません。
ここも、
学校で習う歴史を少し細かく見ていくと、
意外と面白いところです。

「昔からある祭」ではなく、「昔を残すために始まった祭」
時代祭を調べていて面白いのは、
京都の長い歴史を扱う祭なのに、
祭そのものは明治時代に始まっていることです。
昔から自然に残ってきた祭というより、
近代になってから、
「京都の歴史や文化を後世へ伝えよう」
という意思によって作られた祭とも言えます。
明治維新によって、
日本の政治も、
社会も、
「みやこ」のあり方も、
大きく変わりました。
その変化の中で、
京都は自分たちが持っている千年の歴史を、
衣装や行列という形で目に見えるものにした。
そう考えると、
時代祭の見え方も少し変わってきます。
10月22日は、
京都の「時代祭」。
華やかな衣装や行列だけでなく、
なぜこの祭が明治時代に生まれたのか。
そして、
日本の「みやこ」と政治の中心が、歴史の中でどのように変わってきたのか。
そこまで知って見ると、
京都の歴史が少し違って見えてきますね。
そして明治のあと、
日本はさらに大きな転換期を迎えます。
わずか15年しかなかった、
大正時代。
この短い時代が、
明治から昭和、
そして現代の日本へ向かううえで、
意外なほど重要な役割を果たしていました。
明日は、その大正時代を少し掘り下げてみます。

参考









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