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2026/10/23

15年の大正時代 日本を現代へつないだ重要な転換期

尊心オフィス

こんにちは。

東広島市の尊心オフィスです。


明治と昭和の間にある、

「大正時代」

皆さんは、 

どんな時代だったか思い浮かぶでしょうか。 

明治維新。 

昭和の戦争と復興。 

この二つに挟まれているため、 

大正時代は、 

少し印象が薄いかもしれません。 

しかも、 

大正は元年から15年まで。 

歴史の中では、 

かなり短い時代です。 

ところが調べてみると、 

この短い大正時代。 

実は、 

日本が現代へ向かううえで、非常に重要な「つなぎの時代」だったのではないか 

と思えてきます。 


明治時代は「近代国家をつくる時代」だった
明治維新によって、
日本の仕組みは大きく変わりました。
江戸幕府が終わり、
近代的な国家制度が整えられていきます。
中央集権。
内閣制度。
帝国議会。
近代的な軍隊。
学校制度。
鉄道や通信。
明治という時代は、
欧米列強に追いつくため、
短期間で国家の形をつくり上げていった時代でもありました。
言ってみれば、
日本という近代国家の骨格を、一気につくった時代
です。
ただ、
制度をつくったからといって、
社会全体がすぐに落ち着くわけではありません。
新しい制度を、
実際の社会の中でどう動かしていくのか。
国民がどう関わっていくのか。
そこを調整する時間が必要になります。
その役割を担った一つの時代が、
大正だったのではないでしょうか。

大正時代になると「国民」が前へ出てくる
国立国会図書館は、
大正時代について、
政治参加を求める動きが活発になり、
新聞や雑誌、
レコード、
映画などの新しいメディアも発達した、
日本の近現代史における重要な転換期
と説明しています。
この時代を象徴する言葉が、
「大正デモクラシー」
です。
それまで政治は、
一部の政治家や官僚などを中心に動いていました。
しかし大正になると、
政党政治が力を持ち、
普通選挙を求める運動や、
労働運動、
女性の社会進出、
社会運動など、
さまざまな人たちが社会に声を上げ始めます。

本格的な政党内閣が誕生
1918年(大正7年)。
原敬が内閣総理大臣となります。
原敬内閣は、
国立国会図書館でも
「初の本格的政党内閣」
とされています。
政党を基盤として、
議会政治を動かしていく。
現在の日本では当たり前に見える仕組みですが、
その形が大きく前進したのが大正時代でした。

そして男子普通選挙へ
さらに、
1925年(大正14年)。
普通選挙法が成立します。
それまで衆議院議員選挙の選挙権には、
一定額以上の税金を納めていることなどの条件がありました。
普通選挙法によって、
納税額による制限が撤廃され、
25歳以上の男子へ選挙権が大きく広がりました。
もちろん、
まだ女性に選挙権はありません。
現在の普通選挙とは違います。
それでも、
「政治に参加できる人を広げる」
という意味では、
非常に大きな転換でした。

新聞・雑誌・映画・レコードも広がった
変わったのは政治だけではありません。
大正時代には、
新聞や雑誌が発達し、
風刺漫画などを通して、
政治や社会について人々が意見を交わす機会も増えていきます。
さらに、
レコードや映画といった新しいメディアも急速に広がりました。
国立国会図書館は、
大正時代について、
大衆が主役として登場した時代
とも説明しています。
現在のSNSほどではありませんが、
情報を一方的に受け取るだけではなく、
社会の出来事について、
多くの人が考え、
意見を持ち、
参加していく。
そんな社会へ向かう動きが、
この時代にかなり大きくなっていったわけです。

大正天皇陛下の御代に起きた大きな変化
ここで、
大正天皇陛下についても考えてみます。
大正天皇陛下が践祚されたのは、
1912年(大正元年)。
そして、
1926年(大正15年)に崩御されました。
大正という元号は、
わずか15年です。
ただし、
「大正天皇陛下がこれらの改革を直接主導された」
と単純に考えるのは正確ではありません。
政党政治や普通選挙、
社会運動などは、
政治家や国民、
社会全体の動きによって進んだものです。
それでも、
大正天皇陛下の御代に、日本社会が大きく変化した
という事実はあります。
明治時代につくられた近代国家の仕組みの中へ、
政党政治や国民参加、
大衆社会というものが、
少しずつ入り込んでいきました。
そう考えると、
大正という御代は、
何かを一気に作り替えた時代というより、
次の時代へ変わるための土壌を整えた時代
だったようにも見えてきます。

昭和天皇陛下も大正時代に経験を積まれた
そして、
もう一つ重要なのが、
昭和天皇陛下です。
1921年(大正10年)、
当時皇太子であられた裕仁親王は、
ヨーロッパ諸国を訪問されました。
帰国された同年11月25日には、
大正天皇陛下のご病気に伴い、
摂政
に就かれます。
つまり、
昭和天皇陛下は、
1926年の践祚より約5年前から、
摂政として国事に関わる経験を積まれていました。
明治から大正へ。
そして大正から昭和へ。
天皇陛下の代替わりだけではなく、
政治も、
社会も、
国民の意識も、
少しずつ次の時代へ移っていたことが分かります。

大正は「歴史の中継ぎ」だったのかもしれない
野球で考えると、
分かりやすいかもしれません。
先発投手が試合をつくり、
最後は抑え投手が締める。
その間で、
試合を壊さず、
次へつなぐ投手がいます。
いわゆる、
中継ぎ投手。
勝ち投手にならないこともあります。
派手な記録が残らないこともあります。
でも、
その投手がしっかりつながなければ、
試合そのものが成立しません。
大正時代も、
少し似ているように感じます。
明治がつくった近代国家を受け取り、  
社会の中で調整し、 
次の昭和へ渡していく。
わずか15年。
しかし、
その15年の間に、
政党政治。
普通選挙。
大衆社会。
新聞や雑誌。
映画やレコード。
女性の社会進出。
国際社会への参加。
現在の日本につながる、
さまざまな芽が育っています。

短いから、重要でないわけではない
歴史を見ると、
長く続いた時代ほど重要で、
短い時代ほど重要ではない、
というわけではありません。
むしろ、
大きく社会が変わるときには、
その間をつなぐ短い時期が、
非常に重要になることがあります。
大正時代は、
明治と昭和の間に挟まれた15年。
でも、
「間にあるだけの時代」
ではありません。
明治の近代化を受け取り、
国民参加や大衆社会へ広げ、
昭和、
そして現在へとつないでいった。
そう考えると、
大正時代は、
日本が現代へ向かうための重要な中継地点
だったのかもしれません。
歴史の主役は、
必ずしも、
一番目立った時代や人物だけではありません。
次の時代が走れるところまで、
流れをつなぐ。
そんな役割も、
歴史には必要なんですね。

参考









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